こんにちは、ショーロです。
「自分で決めた事がいつも出来ない!」という長年の悩みを解消すべく
・なぜ私はいつも出来ないのか?
・その原因や理由は?
・決めた事をやるにはどうすればいいのか?
ということを、シリーズ記事としてまとめています。
シリーズ記事一覧はコチラです↓
自分で決めた事が出来ない!落ち込む理由と這い上がる方法 記事一覧
※順番に読んで頂くと「グルグル混乱した考えが段々整理されていく様子」が見えると思います。少々長いですが^^; お時間がありましたら最初の記事からどうぞ。
ありのままを受け入れる事で「切り離して考えられるようになった事」
私は、何年・・・いや!何十年もの長い間・・・
「自分は決めた事がいつも出来ない!」
「そんな自分はダメな人間だ!」
と思い続けてきました。
そして、頑張って努力して、いつかきっと・・・
「決めた事をやれる自分になりたい!」
「ダメな自分を変えたい!」
とも思い続けてきました。
が!!
今回改めて自分と向き合って、このシリーズ記事をまとめている間に
「決めた事をやれない自分」とか
「決めた事をやれる自分」とか
「ダメな自分」とか
「ダメじゃない自分」なんて物は・・・
【実はそもそも存在しないのでは?】と思うようになりました。
その時に「自分が出した結果」は
あくまでも「ただの結果」なのに
その「結果」と「自分」を合体させて
「出来ない自分」とか「出来る自分」とか考える事自体が
そもそもナンセンスなのではないかしら?
「ダメな自分」じゃなくて
その時の「結果がダメ」だっただけ。
「ダメじゃない自分」じゃなくて
その時の「結果がOK」だっただけ。
「結果」は「結果」
「自分」は「自分」
「結果=自分」と結びつけて考える事が
そもそもナンセンスなのではないかしら?
と。
で、更に。
「結果」と「自分」を自動的に結びつけてしまう事によって
「その結果が出た本当の原因」と向き合うことをせずに
「自分がダメだから出来なかった」としか考えられず
「だからもっと頑張ろう!」という
【解決にならない解決策】しか見出せない状態、に陥っていたのではないか?
と。
こんな風に思うようになりました。
出来ても出来なくても「自分」は「自分」
「結果」と「自分」を勝手に結び付けてしまうのは
・結果が良ければ受け入れてもらえて
・結果が悪いと存在を否定される
という幼少期の環境で私に組み込まれたシステム。
このシステムによって生成されたのが「見捨てられ不安」
このシステムに従って物を考えると「結果=自分(の存在価値)」となってしまう。
うまくいってもいかなくても、結果に自分の存在価値が左右される不安は付きまとう。
でも、実は!
結果がどうあれ「自分は自分」そこは揺るがない。
その安心感を感じる事ができれば
「自分で決めたやりたいと思う事が出来るようには?」と
シンプルに物を考えられるのではないか?と。
前回の記事で書いた
考え過ぎてやりたい事が出来なくならないように
「今の自分に出来る具体的なことは何だろう?と考える事」
も、自然に出来るのではないか?と。
こんな風に思うようになりました。
今の私には不要な「見捨てられ不安」を少しずつ手放していこう
今の私は「見捨てられ不安」を抱くような環境にはいません。
ですが「見捨てられ不安」を感じ続けています。
染み付いた「見捨てられ不安」を手放す事の難しさを感じています。
強制的に手放さなきゃ!と考えた事はありましたが、以前→見捨てられ不安を撲滅しようとして失敗しているので・・・
今回は無理をせず「お、出たな?見捨てられ不安www」という感じで、「見捨てられ不安の存在」や「見捨てられ不安を感じている自分」を受け入れてから「もう見捨てられないから安心して大丈夫なんだよ」と、自分に言い聞かせ続けようと思います。
本当はポイッ!と捨てたいんですけど・・・まぁ長年一緒に過ごしてきたヤツなので、仕方ないですよね^^;
少しずつ疎遠になりたいと思ってます(笑)
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